比べてしまうあなたへ|「あの人はいいな」を成長の力に変える方法 参謀医Reimyの秘伝の書

メンタル

あなたは「あの人はいいな」と思ったことが、あるんじゃないかな。

子どもなら「あの子はいいな」。大人なら「あいつはいいな」。経営者なら「あの会社はいいな」。

言葉は違っても、その悔しさの正体は、みんな同じだ。

比べること自体は、悪いことじゃない。でも、比べる相手を間違えると、人は静かに消耗していく。

結局は、自分の心を守れる人が最強だ。一番幸せに生きられる。今日はそのことを伝えたい。

人と比べてしまう理由、それは人間の本能だった

比較は、人間が生き延びるために発達させてきた本能だ。

「自分はこの集団の中でどのくらいの位置にいるか」を把握することは、原始の時代には命に関わる情報だった。だから脳は自動的に、周りと自分を比べようとする。これは弱さではなく、人間が賢い生き物である証拠だ。

問題は、その比較の向き先だ。

上を見れば、キリがない。足が速い子より速い子が、必ずいる。売上が高い会社より高い会社が、必ずある。「あの人はいいな」と思い続けていると、どこまで行っても満たされない。

なぜかわかる?

その比較は、「自分が幸せになるための比較」じゃないから。「自分はまだ足りない」を確認するための比較になってしまっているから。

精神科の言葉で言うと、これを「上方比較」という。モチベーションの燃料にもなる。でも使い方を間違えると、自分を燃やし苦しめ続ける火になる。

SNSと承認欲求が比較癖を加速させる

現代に生きる私たちには、比較を加速させる仕組みがある。SNSだ。

フォロワー数、いいねの数、投稿への反応。SNSは人間の承認欲求と比較心を、見事に利用した設計になっている。

最初はいいねが1つついただけで嬉しかった。でもいつの間にか5つ、20つ、もっと欲しくなっていく。誰かが自分の意見に賛同してくれるのは嬉しいものだ。それ自体は悪くない。でも、その数字に自分の価値を委ねてしまうと、数字が増えるたびに「もっと」を求め続ける終わりのないゲームに引き込まれていく。

スクロールするたびに、誰かの華やかな日常が流れてくる。美しい料理、素敵な旅先、輝いているように見える人生。でもそれは、その人が見せたい部分だけを切り取ったものだ。苦労や失敗、泥臭い日常は写っていない。

SNSの画面の前で「あの人はいいな」と感じているとき、あなたは自分の「日常のすべて」と、他人の「最高の瞬間」を比べているのだ。そのゲームに勝てる人はいない。

雑誌や広告を見ても同じだ。「読者に買わせようとする魅せ方がうまいな」「魅力的なキャッチーなフレーズを入れてくるな」「この質でこの価格、どういうカラクリだろう?」——私はいつの間にか、そう考えるようになっていた。他人のSNSを見ては「この姿勢でこの角度でこの明るさに調整して、頑張って撮影したんだな」「さりげなくハイブランドを映すのがうまいな」と思う。

欲しい、羨ましいという感覚が湧く直前に、仕掛けを読む側になってしまったのだ。海外の大富豪ならこれを見てどう思うんだろう?と考えることもある。
参謀の血筋がそうさせるのか、精神科医としての職業病なのか(笑)。

マウントの正体とブランド品の本当の使い方

「マウントをとる」という言葉がある。父はこの言葉をとても嫌う。私もその感覚はわかる。

ただ、自慢とマウントは違う。自分のお気に入りや好きなものを誇るのは良いことだ。それは自己肯定感が高いということでもある。でもマウントとなると話が変わる。マウントには「相手より自分が上か下か」という比較が必ず存在する。自分だけの話では成り立たない。他の誰かがいないと意味をなさない、完全な他人軸だ。だから私は嫌だし、父も嫌いなんだと思う。

経営者同士では年商や従業員数、オフィスの場所、車や持ち物をひけらかす(車や持ち物に関しては、ただ趣味を見せたい人もいるが笑)。保護者間では職業、海外経験、子どもの学力や習い事の数を気にする人がいる。友人同士でも、たとえば同窓会などで自分を大きく見せようと振る舞っている人がいたりする。

他よりよく見せたい、賞賛されたい、周りとは違うんだぞ、という気持ちが乗っかってしまう。

エルメス、シャネル、ヴィトンのバッグ、ロゴが目立つ服……。経営者同士の集まりや保護者会、ママ友の集まりにハイブランドを鎧のように持ってくる人がいる。
精神科医的にはついその人の背景を知りたくなってしまう。だいたい三種類に分かれる気がしている。「人前に出るならハイブランド持っておけばとりあえずオシャレかな」と言うお洒落が面倒・苦手なタイプ、「TPO?自分の好きなようにしております」とTPOを考えないタイプ、そしてマウントを気にする他人軸で生きているタイプ。

ただ例外もある。ハイブランドを嫌味なく、生活の一部のように持っている人だ。見せびらかすでもなく、ただそこにある、という感じ。そういう人のブランド品の持ち方には共通点がある。高価だと認識して大切に長く使う、必要だから使う、身だしなみとして持つ。ブランドに頼っているのではなく、ブランドを使いこなしている。

ハイブランドでも、ノーブランドでも、プチプラでも、その人の品性は内側から作られる。確かにハイブランドの中には質が高く長く大事に使えるものもある。でもそれは見せびらかすものではない。

泥だらけの校庭がある学校にハイブランドのヒールを履いて授業参観に行ったり、泥だらけになる遠足にシャネルやエルメスのバッグを持っていく意味はあるのか。
見栄を張りたい人なのかな、なぜ見栄を張りたいのかな、と興味が湧きつつ、鎧を纏わないと公に出られない心の状態であるのは、精神科医として心配になる。

本当に地位のある人が持つもの──靴・携帯・メガネのレンズ

ここで多くの人と関わってきた中で面白い発見がある。
ちゃんとした地位の人は、ブランド関係なく、「靴」「携帯の画面」「メガネのレンズ」が美しい。

特に靴は本当に違う。世のトップ層の靴は、多少履き古していても、とにかく綺麗だった。携帯の画面が割れていたり曇っていることもない。メガネが汚れていたり曇っていることもない。
これはセルフケアに繋がっていると思う。自分の身の回りを整えること、自分を大切にすること。それができる人ほど、仕事も地位も上の印象がある。見せびらかすためのブランドより、誰も見ていないところの丁寧さの方が、その人の本質を表している。

大切なのは、「何を自分は大切にしているか」だ。他の人から見れば石ころでも、本人にとっては幼い頃の祖母との思い出が詰まった宝物かもしれない。価値は、他人が決めるものじゃない。

ことわざはよく言ったもので、「隣の芝生は青い」「出る杭は打たれる」「どんぐりの背比べ」。どれも、人間が昔から比較に悩んできた証拠だ。

挽回、挽回、集中、集中!

小学生の頃、テストでケアレスミスをして落ち込んでいた私に、父はこう言った。

「挽回、挽回、集中、集中!」

正直に言う。あの言葉が、嫌いだった。

落ち込んでいる私に、寄り添ってもくれないで。悔しくて、悲しくて、なんか腹も立った。

でも大人になって、精神科医になって、たくさんの人と向き合ってきて、ようやくわかった。

父は私を責めていたんじゃなかった。ミスした私を、次の問題に向かわせようとしていた。「過去のミス」と「自分」を切り離して、前を向かせようとしていた。

感情に寄り添うことと、前に向かわせることは、別のことだ。本当に子どもを信じている人は、時に「挽回」と言える。あの言葉は、突き放しじゃなかった。信頼だった。

「挽回」という言葉の主語は、自分だ。誰かに助けてもらうんじゃなくて、自分で取り返しに行く、という言葉。だからあの言葉は、慰めでも励ましでもなかった。「あなたなら自分でできる」という、静かな信頼だった。

気づくのに、ずいぶん時間がかかったけれど。

精神科医として補足するなら、父のあの言葉はとても理にかなっている。「今ここ」に集中させることは、過去のミスをぐるぐる考え続ける反芻思考から脳を切り離す、立派な認知行動療法的なアプローチだ。感情を無視しているのではなく、前に進む力を引き出している。

そして今になって、深く気づいたことがある。「集中、集中」という言葉は、周囲と比較しない自分、マウントに囚われない自分を、ずっと作り続けていたんだと思う。他の誰かを見るのではなく、今の自分に集中する。その習慣が、知らないうちに私の自分軸になっていた。父はきっと、そこまで計算していたわけじゃないかもしれない。でも、参謀の血筋というのはそういうものなのかもしれない。言葉一つで、子どもの人生の土台を静かに作っていた。

比較を武器に変える視点の持ち方

とある有名女性タレントさんが、テレビかYoutubeの中で、子どもを預けた後に外食をしていた時の話をしていた。近くのテーブルに、キラキラした身なりのママたちのグループがいたという。朝から化粧もバッチリ、華やかな雰囲気。一方の自分は、髪ボサボサ、身なりも構わず子どもを預けに行った帰りのまま。そのお母さんたちと自分を勝手に比べて、勝手にゲンナリしていた——という話だった。

私ならそういうキラキラしたグループが近くに来たら、こう思う。「朝から集まって大変だな、でも楽しそうでいいな。こんなにキラキラして見えるお母さんたちも、人間だ。必ず悩みはあるんだろうな、どんな悩みかな。この場に来て疲れる人もいれば、影響されてモチベを上げる人もいるんだろうな」と。

どんなに周りがキラキラして見えても、あの人たちにないものを私は持っている、という理由なき自信がある。個性と同じだ。コピー人間はいない、十人十色だ。

この理由なき自信を作ってくれたのは、親の育て方だったと思う。「あなたならできる、大丈夫」という周りの揺るぎない確信に、子どもの頃の私は素直に乗っかった。その積み重ねが、自分への信頼になっていった。

少し笑える話もある。親は「あなたはどんな女優さんより綺麗」と言い続けていた。子ども心に、なんとなくそんな気がしていた(笑)。社会に出て綺麗な人がたくさんいる現実を知り、いやいや違うじゃない、とはなったけれど、心のどこかで「でも自分は可愛いぞ」と思っている自分がいる。恋愛がうまくいかない時は「相手の見る目がないのね」と思ったりもした(笑)。

要は、考え方ひとつで人生の受け止め方がまるで変わる。自己肯定感とは、そういうものだ。

ただ、一つ難しいこともある。あまりにも「あなたは大丈夫」と言われ続けると、それはそれでプライドが高くなったり、プレッシャーに変わったりすることがある。自信を育てることとプレッシャーをかけることは紙一重で、子育ての本当に難しいところだと感じている。

寝不足だったり、疲労していたり、自分を見失っている時は、空気に圧倒されて飲み込まれる時もきっとある。私も、大学病院内での情報メールや講演会、学会発表、SNSなどで、同じ医師、精神科医が多く活躍されていることが時に眩しすぎる時がある。「ううっ、だめだ、やられる…」と思う。
そんな時は「ああ、自分なんて」と思うのではなく、「あ、疲れてるな」と思えばいい。そしてこの手紙を開こう。それだけでいい。

ちなみに今の私は、わが子の事やら何やら忙しくてそれどころじゃない。幸福度が下がるというSNSとはあえて距離を置いて生きてきたのに今になって始めてみたし、仕事以外ではほぼ使わないパソコンを広げている。そりゃ周りと比較する余裕なんてない。髪はちょっとボサボサ、着ているのは汚れていいTシャツみたいな感じだ。時短が全て。時短に命をかけている(笑)。ハイブランドを全く身につけないわけではないが、頑丈で使いやすいものを使うだけだ。でもここに、周りに圧倒されないヒントが隠れている。

自分軸を守る、強みメモと没頭できるものを持とう

比較に飲み込まれない対策として、まず自分の強みを携帯やノート、どこでもいいからメモしておくことをおすすめしたい。「ああ、自分なんて」と思った時にすぐ目に入るように。

私にとってそれは、昔は中高時代の成績・試験ファイルだった。
今は、神職×参謀×精神科医、二児の母であるという唯一無二の背景と自分だけの経験が強みだ。そこに絶賛子育て中、というのも加えたい。

他の人と同じことが強みでも、加筆していい。同じことであっても、全く同じにできるコピー人間なんていないのだから。あなたの経験は、あなただけのものだ。強みメモを見るだけで、「ああ、そうだった。私にはこれがある」と少し背筋が伸びる。

加えて、小さくてもいいから何かに打ち込めることを持つのも有効だ。先ほども書いたが、私は育児、仕事、そしてわが子へ渡すこの手紙を書いていると、余計な比較に囚われる暇がない。比べる暇があるなら、目の前のことに集中している。何かに夢中になれるものがある人は、比較に消耗しにくい。精神科医として、臨床でも実感していることだ。料理でも、運動でも、推し活でも。没頭できるものが一つあるだけで、心の安定が全然違う。

比べるなら、昨日の自分と

「挽回」って、誰かと比べる言葉じゃない。Aくんより点数が高かった、じゃなくて。さっきミスした自分より、次の自分が上回れ、ということ。

比べる相手は、昨日の自分でいい。

勉強が得意になったかじゃなくていい。昨日より少し早起きできた。嫌なことがあったけど、泣く前に言葉にできた。それだけでいい。

経営者だって同じ。ライバル会社より売上が上かじゃなくていい。去年より、お客さんとの信頼が一つ深まったか。チームの誰かが、一つ成長できたか。あるいは自分自身が事業とより深く向き合えたか。それを積み上げられる人が、静かに、確実に、遠くまで行く。

自分軸を持つとは、「自分が何を大切にしているか」を知ることだ。その軸があれば、誰かのSNSを見ても、マウントをとられそうになっても、ちょっとぐらつくことはあっても、自分に戻ってこられる。

自分の心を守れる人が、最強で最幸だ

「あの人はいいな」と思ったとき、少しだけ立ち止まって。

その悔しさは、あなたがまだ本気だという証拠。だから、捨てなくていい。ただ、向ける先だけ変えてみて。

比べてしまう自分を責めなくていい。人間はそういう生き物だから。ただ、比べる相手と、比べた後の使い方を、少しだけ意識してみてほしい。

比べるなら、昨日の自分と。使うなら、前に進む燃料として。「ああ、自分なんて」と思ったら、「あ、疲れてるな」と受け取って、まず休もう。

結局は、自分の心を守れる人が最強だ。一番幸せに生きられる。

私はあの「挽回」って言葉が悔しくて嫌いだった。でも今は、その言葉のおかげで、ここにいると思っている。

あなたにも、いつかそう思える日が来るといい。

参謀医Reimyより

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