何もかも失ったハンスが、なぜ幸せなのか|手放すことで得られる本当の自由

メンタル

…最近、手に入れたものに満足できていますか?

パトリックのことを書いていて、ふと思い出した。グリム童話の「幸せハンス」。図書館並みに絵本がある家で育った私にとって、この話は子供の頃からずっと「不思議」だった。

7年間奉公して手に入れた金の塊を、馬と交換し、馬を牛と、牛を豚と、豚をがちょうと、がちょうを石ころと——。手の中の価値はどんどん減っていく。なのに、ハンスは交換のたびに「いい取引をした」と大喜びだ。最後は何も持っていないのに、最高に幸せそうに笑っている。

金の塊を捨てた男は、なぜ笑っていたのか?

世間の目線では「馬鹿者」、精神医学で見れば「幸せの達人」

客観的に見れば、ハンスは損しかしていない。世間は彼を「おバカさん」と呼ぶだろう。でも、精神科医の視点で見ると、ハンスは一度も不幸を感じていないのだ。

比べない。後悔しない。今、この瞬間に満足する。

精神医学では「今この瞬間に意識を向ける力」をマインドフルネスと呼ぶ。ハンスは生まれながらの「マインドフルネス」の達人だったのかもしれない。

ハンスが教えてくれる、4つの「幸福の正体」

なぜ彼はあんなに笑っていられたのか。物語を深掘りすると、4つの側面が見えてくる。

① 精神的な自由
「富」は持っているだけで重荷になる。執着を捨て、身軽になることで得られる自由がある。

② 主観的な納得感
幸せは「本人がどう感じ、どう納得しているか」という主観だけで決まる。客観的な損得は関係ない。

③ 「今ここ」を生きる純粋さ
先のことを不安がらず、目の前のメリットを素直に喜ぶ、子供のような無垢さ。(先のことを考えない愚かさや騙されやすさへの風刺とも受け取れるが、その純粋さがハンスの幸せの源泉だ。)

④ 社会的成功からの解放
「富や地位を得るのが成功」という世間のレールから降りて、ありのままの自分に戻る心地よさ。

そして私がこの物語で一番大切だと思うことがある。ハンスには、帰る場所があった。石ころになってしまっても、笑って帰れる家があった。家族は残念がるかもしれない、怒るかもしれない。それでもハンスは安心して帰れる場所がある。それだけで、十分幸せなのだ。

自分にとって「帰る場所」は、他の何よりも大切なものだと私は思っている。どんなに多くを手放しても、帰れる場所さえあれば人は幸せでいられる。

持てば持つほど不満が増える、「外的承認」という終わらない渇き

現代の私たちはどうだろう。ハンスとは真逆の道を歩んでいないだろうか。

金の塊を手にしても「もっと」と思う。馬を手にしても「もっといい馬を」と願う。どんどん所有しても、不満は増え続ける。

これは外的承認依存だ。承認は麻薬に似ている。一時的に満たされてもすぐ切れ、また欲しくなる。売上が上がっても、賞をとっても、車を買っても、心に空いた穴は埋まらない。

ハンスはそのループの「逆」を生き、執着を手放すことで本当の余裕を手に入れたのだ。

私が実際に手放してきたもの

「手放す」と言葉にするのは簡単だ。でも実際にやるのは難しい。私自身も、少しずつ手放してきた。

物の手放し方
いつか使うと思っていたもの、もったいなくて使えなかったブランド品、キッチン用品、子供が大きくなったら使うだろうと取っておいた子供服、20年ほど使っていたソファ、壊れていたけど観ることはできた大きなTV、履かない靴や洋服——。それでもまだたくさんある。

冷蔵庫の保冷剤は時々見直して捨てる。賞味期限切れのものも捨てる。小さなことだけど、こういう積み重ねが「身軽さ」を作っていく。

研修医時代の先輩に教わった方法がある。「一旦箱や紙袋に入れておいて、全然見ないようなら捨てる」というやり方だ。これを緩く実践している。見なかったということは、なくても困らないということだから。

考え方の手放し方
見栄を張るような考え方や心は捨てた。理由なき自信はあるけれど、それは「人に見せるための自信」ではない。

人間関係の手放し方
自分が苦しくなるような人間関係は手放した。寂しい気もした。でも、生きていれば新たな出会いもある。その時その時の出会いを大切にしようと思った。

古くからの友人、親友という響きは素敵だ。でも、それにとらわれなくてもいいかなと思っている。古い友人でも、何かのきっかけにまた近い距離になることもある。縁は、自分でコントロールするものじゃない。

手放すことが怖い理由、脳科学で説明すると

「捨てられない」「手放せない」という気持ち、実は脳の仕組みからも説明できる。

心理学・行動経済学に「損失回避バイアス」という概念がある。人間は「何かを得る喜び」より「何かを失う痛み」の方を約2倍大きく感じる、というものだ。だから「捨てる=損をする」と感じて、なかなか手放せない。

精神科医として言えば、これは弱さでも意志力の問題でもない。人間の脳の構造上、当然の反応だ。

だから「捨てられない自分はダメだ」と責めなくていい。ただ、「いつか使うかも」という言葉が出た時、「本当に使うのはいつ?」と一度だけ自問してみてほしい。答えが出なければ、それは手放すサインかもしれない。

「理由なき自信」と「手放す余裕」が、あなたを自由にする

私の両親が与えてくれたのは、「比べない心」だった。今、この瞬間に満足する力だった。それは、どんな金の塊よりも価値がある宝物だと思っている。

SNSを見れば、華やかで魅力的なものばかりが目に飛び込んでくる。誰かの服、誰かの生活。新しいものを手に入れるたびに、私たちは本当に価値あるものから遠ざかっているのかもしれない。

だから、あなたにも伝えたい。「幸せハンスになれ」とは言わない。

でも、今手の中にあるものを「こんなに良いものを持っている」と感じてみてほしい。

「何かを手放すことで生まれる余裕」「自分の価値基準で決める幸せ」。それに気づけたとき、あなたの毎日はもっと軽やかに、楽しくなっていくはずだ。

そして忘れないでほしいのは、ハンスが幸せだった一番の理由だ。

彼には、帰る場所があった。

どんなに手放しても、どんなに身軽になっても、帰れる場所さえあれば人は幸せでいられる。あなたにとっての「帰る場所」は、どこだろう?それに気づけたとき、あなたの毎日はもっと軽やかに、楽しくなっていくはずだ。



📜 比較せずに幸せに生きる方法は、こちらの手紙で。

生産性ゼロのパトリックはなぜ幸せ?|承認欲求を捨てて自分を愛する技術
無職なのに幸せなパトリック、努力家なのに不幸なイカルド。違いは承認欲求にあった。比べて苦しくなった自身の経験と子育てのリアルを交えながら、精神科医・参謀医Reimyが「内的基準で生きる」方法を解説します。

参謀医Reimyより

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