「英語が話せないから、英会話が苦手なんだ」
そう思っているあなたに、一度立ち止まって考えてほしいことがある。
本当に、英語力だけが問題なのだろうか。
英語を学んでも話せない。学び直しても自信が持てない。そういう人に限って、「もっと勉強すれば話せるようになる」と信じて、また参考書を開く。だが何年経っても、英語は口から出てこない。
それはなぜか。
英語力が足りないからではない。「伝えたい」という力が、まだ育っていないからだ。
日本人が英語を話せない「本当の理由」
日本人は英語が苦手だとよく言われる。
確かに、英語が話せないことで馬鹿にされた経験を持つ人は多い。恥ずかしい思いをして、それ以来英語から目を背けてきた人もいるだろう。外国人を前にすると、頭が真っ白になる。わかっているのに言葉が出てこない。そういう経験を、一度はしたことがあるはずだ。
だが私は、その原因を「英語力の不足」だと片付けることに、ずっと違和感を覚えてきた。
本当の問題は、別のところにもある。
英語を学んで自信がついて、「話してみよう」という気持ちになった瞬間を思い出してほしい。そのとき、あなたの英会話力は確かに伸び始めていた。英語力が先についたのではない。「伝えたい」という衝動が先にあったのだ。
言語はあくまでも道具だ。道具を使いたいと思う動機がなければ、どんなに道具を磨いても意味がない。
これは英語に限った話ではない。日本語でも、職場でも、子育てでも、構造はまったく同じだ。「どうしても伝えたい」という力がある人の言葉は、たどたどしくても相手の心に届く。逆に、流暢でも「伝えたい」がない言葉は、どこかで空回りする。
精神科医として、外国人患者と向き合う時は
私はネイティブでも帰国子女でもない。英語は決して得意ではないし、今もそうだ。
それでも、外来に外国人患者が訪れることがある。精神科という診療科の特性上、患者さんの言葉はとりわけ重要だ。「なんとなく気分が落ち込む」という一言の裏に、どれだけの文脈があるか。日本語でさえ、大事なニュアンスを拾いきれないことがある。英語ならば、なおさらだ。
そしてこれは単なるコミュニケーションの問題ではない。
誤った理解は、誤った診断につながる。誤った診断は、誤った治療につながる。私が不在のとき、代わりに診てくれる医師が困らないよう、正確にカルテに残す必要もある。患者さんの安全がかかっている以上、「なんとなく通じた」では絶対に済まない。
大学病院で海外からの留学生と一緒に働く機会もあった。
私は純粋に嬉しかった。留学生がどんな国から来て、どんな医療を学んできたのか。その人自身のことを知りたかった。だからこそ、積極的にコミュニケーションを取ろうとした。諦めず、拙くても話しかけた。
周りを見ると、少し様子が違った。恥ずかしがって距離を置く医師もいた。英語が話せる帰国子女の医師でさえ、どこか腰が引けているように見えることもあった。
思うに、「自分の英語は上手く聞こえているだろうか」という承認欲求が邪魔をするのかもしれない。自分を評価されることへの意識が強いほど、自分を曝け出してコミュニケーションを取ることは難しくなる。以前このブログで書いた「比べない・承認欲求」の話と、根っこは同じだ。比較と承認への執着は、行動する前に足を止める。
英語力なんて、上には上がいる。ネイティブだってアクセントは地域によって全然違う。目の前の貴重な機会を、承認欲求に邪魔させるのはもったいない。
留学生が来てくれるその機会を、私はただ純粋に楽しみたかった。
だから私は、必死で聞き、必死で話す。
拙い英語でも一生懸命に言葉を探す。わからない単語はその場で調べる。翻訳アプリだって、必要ならば使っていい。ジェスチャーも交えて、何がなんでも相手の言いたいことを理解しようとする。
格好なんて、どうでもいい。手段を選ばず、コミュニケーションを諦めない。
それだけが、私の仕事でのルールだ。
日常でも旅先でも、意識は変わらない
この意識は、診察室の外でも変わらない。
日常でも、外国人に道を聞かれることがある。電車の中で「ここで降りれば良いですか?」と聞かれることもある。完璧な英語で答えられるかと言えば、そうではない。それでも、なんとか伝えようとする。地図を指さして、身振りを交えて、時には一緒に降りて案内したこともある。
旅先ではなおさらだ。レストランで注文するとき、宿泊先でリクエストを伝えるとき、英語が完全に通じなくても、諦めたことはない。スマホを差し出すこともあるし、片言でも笑顔で繰り返すこともある。
格好よく話せたかどうかより、伝わったかどうか。それだけを考えている。
臨床で鍛えた「諦めない意識」は、気づけば日常に染み込んでいた。特別なことではない。伝える力とは、場所を選ばず発動する習慣なのだと思う。
「伝える力」は、言語を超える
ある大富豪の外国人と話す機会を得た人の話を聞いたことがある。
英語はほとんど使えない。通訳もいない。でも、どうしてもその人の話を聞きたかった。他の人に助けを求め、ジェスチャーも交えて、あらゆる手を尽くした。
その場で流暢な英語は一言も出なかった。それでも、会話は成立した。
大切なのは英語力ではなかった。聞こうとする姿勢、伝えようとする意志だった。
これは哲学だと私は思う。言語はツールにすぎない。ツールの質より、ツールを使おうとする意志の強さが、コミュニケーションの成否を決める。「何としても届けたい、理解したい」という力こそが、言葉の壁をこじ開けていく。
トップアスリートが通訳をつける理由のひとつとして「ニュアンスのわずかな差も大切にするから」という話を聞いたことがある。それほどまでに、言葉のわずかな差が大きな意味を持つ。だからこそ、「伝えたい」という意志が研ぎ澄まされているほど、より正確に、より深く届けようとする力が生まれる。
外国人タレントが教えてくれること
ここで、逆の視点から考えてみてほしい。
日本語が完璧ではないのに、なぜか画面から目が離せない外国人タレントがいる。アクセントは明らかに外国人のもの。文法も時々怪しい。でも、その人が話すと、つい引き込まれてしまう。
なぜだろうか。
それは、その人が「伝える力」を持っているからだ。
私たちは無意識のうちに、日本語の上手い下手よりも、その人の話す内容や熱量に耳を傾けている。言葉の正確さではなく、「伝えたい」というエネルギーに反応している。流暢さではなく、誠実さに動かされている。
これは英語でも同じだ。完璧な発音より、伝えようとする姿勢。正しい文法より、諦めない意志。それが相手の心を開く鍵になる。
馬鹿にする相手が、最後は歩み寄ってくる
一生懸命に聞こうとする姿勢は、相手を動かす。
最初は拙い英語を馬鹿にしていた外国人でも、その必死な姿勢に触れた瞬間、態度が変わる。相手も、わかりやすく伝えようとしてくれるようになる。ゆっくり話してくれる。簡単な言葉を選んでくれる。
これは決して偶然ではない。
人は、「自分のことを理解しようとしてくれる人」に対して、自然と心を開く。言葉が通じなくても、その姿勢は伝わる。むしろ言葉が通じないからこそ、姿勢がダイレクトに伝わる。
コミュニケーションは、一方通行ではない。伝えようとする力が、相手の「聞こうとする力」を引き出す。これが、言語の壁を超えていく唯一の方法だ。
今日から始める、「伝える力」の磨き方
だとすれば、今あなたが磨くべきものは何か。
英語の参考書を開く前に、英会話スクールにお金を使う前に、まず紙に書き出してほしい。
「何を・誰に・いつまでに」
この3つだけでいい。
何を伝えたいのか。誰に届けたいのか。いつまでに伝えられるようになりたいのか。頭の中でぼんやりしていたものが、紙に言葉として出た瞬間、「伝えたい」という力は一気に輪郭を帯びる。それが、あなたの武器の出発点になる。
伝える力は、一日にして育たない。
英語でも日本語でも、今日誰かに何かを届けようとした瞬間から、あなたの武器は少しずつ磨かれていく。英語を学んでも、大切なのはコミュニケーションを諦めないこと。伝える力を常に意識し続けること。流暢かどうかより、「伝えたい」があるかどうか。それがすべてだ。
今日一つ、伝えることを諦めないでほしい。その積み重ねが、どんな語学学習より速く、あなたを変えていく。
参謀医Reimyより


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