「ま、いっか」が、私の口癖だ。
誰かに何か言われた時、何かを取り落とした時、思った通りに物事が進まない時——気づけば、口からこの三文字が出ている。
でも、最初からそうだったわけではない。
「全然やばくないじゃん」——中学校の教室で受けた、冷たい笑い
中学生の頃、私は試験前に「やばい、やばい」とよく言っていた。
言いたくて言っていたわけではない。本当に焦っていた。準備が足りない、もうダメだ、と本気で思っていた。
ところが、ある時のテストで、思いがけず95点くらいを取った。
教室で点数を聞かれて、答えた時のことを覚えている。 数人に囲まれて、顔を見合わせ、こちらを見て——「全然やばくないじゃん」「なんなのこの人〜」と、冷たく笑われた。
すごいね、ではなかった。あの笑いは、確かに冷たかった。
私自身も、この点数を取ると思っていなかったから、本気で驚いていた。それなのに、羨ましがられて、冷たくされた。あの日のことは、不思議とはっきり覚えている。
あとから振り返って気づいたのは、勉強しているからこそ、自分の足りなさが見えて、「やばい」と感じていたのだということだった。 真面目に取り組む人ほど、自分がどれだけ知らないかが見えてしまう。だから、真面目な人ほど、「やばい」と言いがちになる。
でも、それは周りには伝わらない。 本人は本気で焦っているのに、結果が伴ってしまうと、「謙遜している」「演技している」と読み取られてしまう。
その日から、私は「やばい」と言わないようにしようと思った。
言葉を変えても、焦りは消えなかった
でも、不思議なことが起きた。
「やばい」を言わないようにしていると、同じような場面で、こんどは「どうしよう、どうしよう」が口から出るようになった。
小さい頃の私は、単純に思った。「やばい」っていう言葉が悪かったんだ、と。だから言葉を変えた。 でも、本当はそうではなかった。
問題は、言葉ではなかった。
焦り、不安、自分への厳しさ——そういう脳の中の働きが、ただ違う単語に乗り換えただけだった。 表面の言葉を変えても、内側の警報は鳴り続けていた。
そして私はそれを、「やばい」と言わない人として、長いこと持ち歩いた。
外からはおおらかに見られた。穏やかで、マイペースな人、と。 でも内側では、ずっと「どうしよう」と呟いていた。
外見と中身が、こんなにずれている人間がいることを、当時の私は知らなかった。 あるいは、知っていたけれど、それが自分のことだとは思っていなかった。
精神科医になって、患者さんの中に、自分を見つけた
精神科医になり、うつ病の患者さんと一緒に認知行動療法をするようになった。
認知行動療法(CBT)は、心の不調の背景にある「思考のクセ」に光を当てて、それを少しずつ書き換えていく治療法だ。 白黒思考。完璧主義。「べき」「ねば」で自分を縛る思考。ひとつのミスを、人生全体の失敗に拡げてしまう思考。
学生の頃、教科書でこれらの概念を勉強した時、私は学問として通り過ぎていた。 そういう病もあるんだな、覚えよう、くらいの距離感で。
でも、臨床現場で、患者さんと一緒に紙に書き出しながら、ひとつひとつの思考を見ていくと、ある時、足元が抜けるような感覚があった。
あれ、私もやはり当てはまるな、と。
「これくらいできて当然だ」と自分に求めること。 「もっと頑張らないと」と自分を急かすこと。 「あの時こうしておけば」と過去をやり直そうとすること。
外からおおらかに見られがちな自分が、内側でやっていたことが、まさにそれだった。 他人にも、つい自律を求めてしまうところがあった。
患者さんを通して、ようやく自分のことが見えた。 医者として少し恥ずかしい告白だが、自分のことは、患者さんに教わって初めて見えるようになる、ということが、本当にある。
「ま、いっか」を、意識的に口癖にしてみた
ここで、私はもう一度、自分の口癖を変えようと思った。
中学校の時のように、表面だけ変えるのではなく、今度は内側の警報そのものを、少し下げたかった。
そのために選んだのが、「ま、いっか」という三文字だった。
最初は不自然だった。 失敗した時、思い通りにいかなかった時、口から出るのは相変わらず「どうしよう」だった。それを意識して、「ま、いっか」と言い直す。 何度も、何度も、そうしているうちに、いつの間にか、最初から「ま、いっか」が出てくるようになっていた。
ちょっとした失敗。間に合わなかった家事。子どもがこぼした牛乳。忘れ物をしたとき。 そういう日常の小さなほつれに、「ま、いっか」と言うようになった。
不思議なもので、口から出した言葉は、脳に戻ってくる。 「ま、いっか」と声に出すと、本当に「ま、いっか」と思えるようになっていく。
「ま、いっか」は、諦めではない
ここで、誤解されたくないことがある。
「ま、いっか」は、諦めではない。手抜きでもない。投げやりでもない。
それは、自分にもう一段の要求を上乗せしないという、戦略的な選択だ。
完璧主義の脳は、放っておくと、ずっと自分にダメ出しをし続ける。「もっとできたはず」「あれは失敗だった」「次はもっと頑張らないと」。 そのダメ出しは、短期的には自分を奮い立たせるかもしれない。けれど、長期的には、脳を疲弊させる。判断力を落とす。寝つきを悪くする。気分を沈める。
「ま、いっか」は、そのダメ出しの連鎖を、一回だけ止める言葉だ。
全部を諦めるわけではない。今日、この瞬間に、これ以上自分を責めないでおく。それだけのこと。
でもその「それだけ」が、脳の中ではとても大きい。 扁桃体の過剰な警報を下げ、前頭前野の働きを取り戻させ、コルチゾールの過剰分泌を抑える。
つまり「ま、いっか」は、自分の脳を、自分で介護する技術なのだ。
睡眠が戦略であるのと同じように、「ま、いっか」もまた、戦略だ。
「ま、いっか」と言える日が、増えますように
私が「ま、いっか」を口癖にできるようになるまで、ずいぶん長い時間がかかった。
中学校の教室で受けた冷たい笑い。 「やばい」を「どうしよう」に変えて、内側はそのままだった青春。 精神科医になり、患者さんを通して、ようやく自分の中の白黒思考に気づいた、あの臨床の日々。
ひとつひとつが、無駄ではなかった。 全部があって、ようやく「ま、いっか」が言えるようになった。
完璧主義の人ほど、「ま、いっか」と言うことに、罪悪感を覚えるかもしれない。 真面目な人ほど、それは「逃げ」じゃないか、と感じるかもしれない。正直、私もたまに言いながら違和感を感じるときがまだある。
でも、そうじゃない。 それは、脳を守る技術だ。 そして、自分への優しさを練習する、最初の一歩だ。
いつか、あなたが、自分に「もっと、ちゃんとしなきゃ」と言い続け、肩がガチガチになっている夜——
試しに、声に出して言ってみてほしい。
「ま、いっか」
その三文字が、あなたの脳の中の、鳴りやまなかった警報を、少しだけ静かにしてくれるかもしれない。
参謀医Reimyより


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